机の上をチョコチョコ動いてた羽の生えた黒い虫を潰して、「ああ、此処で今一つの命が終わったんだな」
             としみじみ感じてみる。
             意思があるのかどうかでさえ謎なこの小さな命が、今急に真上から押し潰されて、哀れティッシュの染みに
             なってしまったんだな、と。
             今の今まで自分と同じ時を共有してきた命だ。虫の体のつくりについては学校で習っていないけれど、   
             多分血みたいな物が流れていて、心臓みたいなのが動いていて、筋肉みたいなのが縮んで、伸びて、子供を
             作るためにこの部屋の中をうろついていた、そう云う命だ。
             同じ時を生きていた。

             そもそも時間とは何処から来たのだろう?一日が何故二十四時間なのか、とかそう云う事ではなくて、  
             時間と云う物が何処から生まれて来たのか。
             思うに、それは宇宙から来た。
             宇宙が何処から来たのかを考えているときりがないので、とりあえず時についてのみ考えてみる。
             宇宙の何処にいても、きっと『今』は存在する。そしてちょっとでも脳の発達した生物がいれば、少しでも
             昔の事を覚えていたり先の事を考えたり出来る奴等がいれば、『過去』や『未来』も存在する。
             恒星の周りをグルグル回りながらグルグル回っていれば、『今』の様子が少しずつ変わっていく。
             そうして少しずつ、時間が形成されていったのだろう。

             そうなると何だ、時ってのは意識の問題か?否、それは『時間』だ。『時』じゃない。『今』じゃない。
             今とはつまりこの瞬間。この状態。この空間。この存在。何処に居たって変わらないし、意識しなくても 
             ここに在る。つまり今とは宇宙の存在。自分の存在。時とは存在その物を指す。
             例えばさっきの黒い虫と自分とは、ある一瞬までおなじ場所に存在していた。イコール同じ時に存在して
             いた。イコール同じ存在の中にまた存在していた存在。何だかややこしい。
             そう、例えば太陽と同じように惑星を持つ恒星が在ったとして、その中に地球と同じように生物の住める
             環境があったとして、其処に人間の様であったり、虫の様であったり、アメーバの様であったり、恐竜の様 
             であったり、或いはもっと別の姿をして、もっと別の生命活動をしている何かが存在しているとすると、
             自分も虫もその宇宙人も、同じ時の中に存在しているのだ。
             同じ存在の中で生きているのだ。

             何だかスケールの大きい話を考えてしまった。でも、そう考えるとゾクゾクする。ワクワクする。自分の
             知らない生命体が、地球にも他星にも今存在していて、自分達と時を共有している。
             もう直ぐ十二時だ。黒い染みの付着したティッシュを丸めて塵箱にシュートし、意味もなく南無阿弥陀仏を
             唱えてやってから、布団に潜り込む準備を始めた。

































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