理科教室の前の水場に立って、僕はビニィルの袋から透き通った蒼いカプセル剤を取り出した。透明な膜の内側にコバルト
      ブルゥの液体が入れられている。ステンレスの水台の少し窪まった処に水が溜まっていて、睛の前の薄汚れた窓からの日差しを
      受けた蒼い塊が静かにその彩を水面に落とす。金銀の輪に囲まれて碧影が揺らめく。
      明らかに危ない彩だ。蒼い花だってそんなにないと云うのに、こんな物が身体に良い訳がない。とは云え、薬局で出された物
      なんだから、呑まない訳にもいかない。
      「呑むんだね、」
      明朗な声が響いて僕は振り返った。風邪などひいているのが皆に知られない様、わざわざ人の来ない処まで来たのだ。同じ教室
      の者だったりしたらたまらない。
      しかし其処に居たのは、僕の全く知らない琥珀色の髪彩をした少年だった。紺の制服を着ているには着ているが、シャツの釦
      の上の二つは留まっておらず、タイもしていない。教師に見つかりでもしたら、直ぐ様教員室に連れ込まれる様な格好だ。
      「呑んだら、悪い、」
      突然の訪問に多少戸惑いながら訊き返したので、単語と単語がうまく繋がらない。
      「別に」
      そう云いつつも、少年は硝子のコップを差し出した。中には水が張っている。
      「使えって、」
      少年は口の端で笑って頷く。
      「何で、」
      云ってから、しまった、と思った。どうせならあからさまな不審感でも含ませておくべきだったのに、生じた疑問を咄嗟に
      口にしてしまったのだ。
      少年は、今度は声を立てて笑った丈で強引にコップを押し付けた。
      仕方なしにその水で薬を呑む。空気に触れていたのに水は少しも温まっておらず、咽の奥に仄かに甘い香りが広がった。氷砂糖
      の様な甘さだ。水に何か混ざっていたのだ。
      コップを返すと、微笑んだ儘で少年は云った。
      「人に出されたからって、あまり妙な物を呑まない方が良いよ
       何が混入しているか分からないからね」
      僕は顔が熱くなるのを感じた。多分鏡を覗いたら、真っ赤になった自分が映っているだろう。腹立たしいのと気恥ずかしいの
      とで、僕は足早に教室へ戻った。風邪なんてもう分からなくなっていた。


      その晩、僕は酷い寒気と吐き気で睛が醒めた。黒タイル敷きの子供部屋は昼の廊下より冷たいが、これは気温による寒気なんか
      じゃない。鳩尾の辺りから咽元に掛けて、氷で出来た虫か蛇が這い回っている感じだ。僕は食道を上り下りする蒼い生物を想像
      して、再び吐き気を覚えた。
      起き上がって洗面台に向かいたいのだが、身体が云う事を聴かない。息をするのももどかしく、僕は激しく咳き込んだ。そんな
      状態であり乍ら、何か甘い物を口にしたくてたまらない。如何して良い物かも分からずにベッドから転がり落ちた処だった。
      「吐けよ」
      聞き覚えのある声が、頭上から降ってきた。朦朧としていて確かめられないが、それは昼間学校で会ったあの少年の声だった。
      「俺達の身体には不純物が溜まり易いんだ
       時々、吐き出してやらないと」
      云って少年は僕の背中を軽く叩く。それに促されるようにして、僕はもう一度咳き込んだ。
      すると、如何だろう。何の前触れもなしに、僕の口から透明な水晶体が吐き出されたのだ。口内はに忽ち甘い香りが充満し、
      寒気と吐き気は瞬く間に掻き消えた。
      「何、これ、」
      「云ったろう
       不純物さ」
      少年は結晶を拾い上げ、手に持った燈篭でそれを光に透かした。部屋の黒タイルに白橙の形が映り、中央に碧影が浮かぶ。
      「昼間これを呑んだだろう」
      淡い光に呑まれて揺れる蒼を指差して少年が云った。
      「つまりこれが不純物」
      そして燈篭の灯を吹き消し、水晶体を口に放り込んだ。
      僕はもう何が何だか理解出来ずにいたが、少年が口にした物が僕の身体から出て来た物だと云う事は認識していたので思わず
      「あ、」
      と、何とも情けない声を上げてしまった。
      「これが何だか教えようか、」
      舌の上で結晶体を転がしつつ、少年が云う。
      「これはね、毒なのさ
       砂糖菓子に似た味がするんだけど、依存性がある
       たまにしか採れない貴重な物なんだ」
      「だから、自分で作りに行くの、」
      「そう」
      少年は、あの頭にくる笑みを浮かべて頷いた。
      「正確には、作らせに、ね
       自分のなんかじゃ、もう効かないから」
      暗がりの中で、少年の色素の薄い睛が光った、様に見えた。段々意識のはっきりしてきた僕は、少年が何処から入ってきたのか
      勘繰り始めたが、直ぐに無駄だと分かった。
      少年はあろう事か勢い良く窓を空けて、その縁に足を掛けたのだ。都会の空は晴れてはいるが、星など一つも瞬かない。涼やか
      な風さえ舞い込んでは来ず、寧ろ部屋の空気が外に漏れ出して行く気さえした。
      振り向きざまに少年が云った。
      「もし又鉱石砂糖を作ってしまっても、絶対に口を付けちゃ駄目だからな
       その時は俺が責任持って引き取りに来るから」
      その儘、飛び降りる。窓際に駆け寄った僕は、琥珀色の羽に赤い扇模様のある鳥が羽ばたくのを見た。気がした。


      その後風邪が完治しても、僕が暫く蒼いカプセル剤を呑み続けたのは云う間でもない。初めにあの少年が呉れた水に入っていた
      のは、他でもない例の毒物だったのだから。
























 

















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