腐爛した出目金が陶器の鉢の中でぷかぷか浮かんでいた。
夏期休暇で祖母の家に帰って盆を済ませ、一週間して借家の我が家に戻ってきた日の庭での事だ。
若しかしたら、出掛けた日にはもう死んでいたのかも知れない。
餌をやった記憶が、八月に入ってから全くなかった。
市が開催した夏祭りの夜店で必死になって紙の網を振るったのが七月の終わりで、
其れから暫くは、本当に暫くではあったが、毎日餌をやり、水を半分ずつ換え、話し掛けてさえいたのに。
捨てなければ。
半分呆けた様に其れだけがぽかんと頭に浮かんで、俺は素手で出目金を摘んだ。
ぬるり、とも、ぐちょり、とも採れる感触が、一層感覚を鈍らせる。
一週間ずっと生温い水に浸かっていたのだろう其の黒いカタマリは、
冷たいとも温かいとも採れない微妙な熱を右掌に落として、左の指で突付くとぶよぶよ蠢いた。
腐臭がどんな物かは分からないが、其れからは腐った水の匂いがした。
小学校の時絵の具セットのパレットを良く乾かさないままに仕舞っておいて、久しぶりに開けたらこんな匂いがした記憶がある。
其のとき開いたパレットは緑色に染まっていたが、出目金は真っ黒の儘だ。
自らが溶け出して、自らに纏わり着いている水をも墨色に染めている様に思えた。
指の間からぽたりと垂れる液体。足元に円形の滴が落ちた。
其の水が、汗腺を通って俺の体内に滲み込んで来る様な錯覚。自分も腐っていく様な感覚。
掌から黒く染まって、でも躰全体迄は腐らないで、二の腕の辺り迄腐爛したら其処からぼとりと落ちるのだ。
否、感覚などなく、自分に触れても自分だと認識出来ず、触った指の跡も其の儘に・・・
落ちた右腕は腐葉土の上で更に分解されて、蛍になった。
原型を留めない筋肉の筋の合間から這い出して飛び散る蛍光黄緑。
黒の光源は当てもなく無数に飛び交い、やがて黒滴に群がった。其処から、孵化する。
光沢のある甲殻を脱ぎ捨て、何故か蛍は蝶になる。ひらり、ひらり、舞い上がる黒揚羽。
しかし良く見るとその翅は翅と云うより寧ろ鰭で、腹はぶくぶくと太っており、頭には奇妙な出っ張りが二つあって。
皮を俺の皮膚にくっ付けた儘、出目金の屍体はずるりと滑り落ちた。白みを帯びた出目金の内側に土が付く。
空から降ってきた御馳走にぶつかって、蟻が二匹小躍りした。
コイツが何時か、蛍になる日もあるさ。
俺は鉢の水を捨てに掛かった。右腕は未だ健在だったので、両手で持ち上げる事だって可能だ。